Detail
戦後の漁業改革に命運を左右された網元一家の群像を描く、異色のドキュメントノベル
道北・枝幸で鮭定置網漁の草分けとなった、明治期から続く網元・佐賀家。戦後の漁業法改正により、一転して漁業権喪失の危機を迎えた一家は、マルハ大洋漁業への漁場貸しに最後の望みを懸けるが――。GHQによる漁業改革によって命運を左右された、網元一家の苦闘を描く異色のドキュメントノベル。
「まえがき」より
拙稿は、筆者が長年にわたって書き綴ってきたものである。ストーリー上はメインでないものの、筆者の目論見としてはこの物語のなかで、昭和二十七年の漁業制度の改革によって、旧漁業法下における最後の鮭定置漁業権所有者となった人々、そして制度切り換え後の新しい鮭定置漁業権免許取得者を明らかにしたかった。しかし、その原資料の入手は困難を極めた。何度となく、宗谷支庁(のちの振興局)や北海道庁の担当部署に問い合わせたが、なにぶんにも数十年前の古い資料なので所在がわからないとの一点張りで、埒が明かなかった。
平成三十一年の年明け、これが最後と思って道庁の情報公開請求部署に対し、昭和二十七年に新交付された鮭定置漁業権免許取得者の資料を探す手立てはないか尋ねてみた。すると、そこから連絡を受けた道立文書館員の宮上さんから、幸運にも「昨秋、鮭定置漁業権免許原簿が移管され、第一次の原簿はないが第二次の原簿ならある」との返事をもらい、ようやく出版に踏み切る決意をしたのである。
目次
梟の神が自ら歌った謡
宗谷・枝幸(含む蝦夷地)場所請負の変遷
近世後期の蝦夷地区分図/佐賀家略系図/凡例
第一章 オホーツクの漁場オカィスマ
1 佐賀家、遠来の客を迎える─昭和二十二年十二月
2 フジ未亡人、漁業権返還交渉に臨む─昭和二十三年一月
3 白線帽に高下駄で城下を闊歩─昭和二十三年四月
4 生き返ったオカィスマ漁場─昭和二十三年七月
5 波乱が続いた佐賀家の歴史─昭和二十三年八月
第二章 時代という名の荒波
1 学制改革の犠牲者、最後の旧制高校生─昭和二十三年秋から翌春
2 母と息子の対立─昭和二十四年七月
3 新鋭の発動機船配属される─昭和二十四年八月
4 名ばかりの新制大学─昭和二十四年九月から十一月
5 佐賀家にもたらされた新漁業法成立の報─昭和二十四年十二月
第三章 光と影
1 旧帝大への挑戦を決意─昭和二十五年一月から七月
2 佐賀家に起きた内紛─昭和二十五年八月
3 マルハ支社長歓迎の宴─昭和二十五年九、十月
4 形式に過ぎなかった公聴会─昭和二十六年三月
5 憧れの教養学部へ─昭和二十六年四月から七月
6 大学生たちで賑わうオカィスマ─昭和二十六年八月
第四章 網元・佐賀家の終焉
1 不漁に終わった最後の鮭定置網漁─昭和二十六年秋
2 半世紀に及ぶ漁業権を失う─昭和二十七年年明け
3 母の手紙に記された悲報─昭和二十七年一月下旬
4 町会議員団の陳情に同行─昭和二十七年三月
5 血にそまった宮城前広場─昭和二十七年五月
佐賀郁朗
1931年(昭和6)北海道生まれ。旧制弘前高校を経て、1956年東京大学農学部卒業。翌年全国農業協同組合中央会に入り、教育部出版課長、教育部長を務め、その後も農協電算機研究センター常務理事、農林放送事業団常務理事を歴任。1954年の日本農民文学会結成に参画し、「農民文学」作家たちを知る。著作に『君臣平田東助論――産業組合を統帥した超然主義官僚政治家』(日本経済評論社、1987)、『受難の昭和農民文学――伊藤永之介と丸山義二、和田伝』(日本経済評論社、2003)、共著に日本農業新聞編『協同組合運動に燃焼した群像』(富民協会、1989)など。