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戦後文学の代表作家としらしめた『白痴』ほか、
太宰と人気を二分した無頼派・坂口安吾の主要7編を収録。
白痴の女と火炎の中をのがれ、「生きるための、明日の希望がないから」女を捨てていくはりあいもなく、ただ今朝も太陽の光がそそぐだろうかと考える。戦後の混乱と頽廃の世相にさまよう人々の心に強く訴えかけた表題作など、自嘲的なアウトローの生活をくりひろげながら、「堕落論」の主張を作品化し、観念的私小説を創造してデカダン派と称される著者の代表作7編を収める。
目次
いずこへ
白痴
母の上京
外套と青空
私は海をだきしめていたい
戦争と一人の女
青鬼の褌を洗う女
解説 福田恆存
本書収録「白痴」より
その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨(あひる)が住んでいたが、まったく、住む建物も各々(おのおの)の食物も殆ど変っていやしない。物置のようなひん曲った建物があって、階下には主人夫婦、天井裏には母と娘が間借りしていて、この娘は相手の分らぬ子供を孕んでいる。
伊沢の借りている一室は母屋(おもや)から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の息子がねていたそうだが、肺病の豚にも贅沢すぎる小屋ではない。それでも押入と便所と戸棚がついていた。
本書「解説」より
かれにおいては、その創作行為とは、真の感動に達するためにおこなう感傷の削除作業を意味するものであって、ひとびとが作品の効果の詮議だてに口角あわをとばしているとき、作者の精神はすでにそこにはない。それはたえず作品を昇華し、作品を自己否定する。もともと作品はそこから飛びたつための基地工作のようなものであったのだ。
そういったからといって、かれの作品の自己目的性を疑ってよいものではない。むしろそこにこそ自己目的性が現れるのだ。
――福田恒存(評論家)
坂口安吾(1906-1955)
新潟市生れ。1919(大正8)年県立新潟中学校に入学。1922年、東京の私立豊山中学校に編入。1926年東洋大学文学部印度哲学倫理学科に入学。アテネ・フランセに通い、ヴォルテールなどを愛読。1930(昭和5)年同校卒業後、同人誌「言葉」を創刊。1931年に「青い馬」に発表した短編「風博士」が牧野信一に激賞され、新進作家として認められる。少年時代から探偵小説を愛好し、戦争中は仲間と犯人当てに興じた。戦後、『堕落論』『白痴』などで新文学の旗手として脚光を浴びる。