Detail
人に勧められて飼い始めた可憐な文鳥が家人のちょっとした不注意からあっけなく死んでしまうまでを淡々とした筆致で描き、著者の孤独な心持をにじませた名作『文鳥』、意識の内部に深くわだかまる恐怖・不安・虚無などの感情を正面から凝視し、〈裏切られた期待〉〈人間的意志の無力感〉を無気味な雰囲気を漂わせつつ描き出した『夢十夜』ほか、『思い出す事など』『永日小品』等全7編。
目次
文鳥
夢十夜
永日小品
思い出す事など
ケーベル先生
変な音
手紙
注解・解説 三好行雄
「夢十夜」第一夜より
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪廓の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。到底死にそうには見えない。然し女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。
本書「解説」より
『吾輩は猫である』から『明暗』にいたる、その層々とした漱石文学をかたわらにおけば、『文鳥』その他の小品は確かに、見せかけは貧しく、みすぼらしいとさえいえる。しかし、ここで語られている作家の〈私〉は――たとえば作家の創造した虚構の時間が逆に、作家の発想そのものをまきこんでしまうといったふうな、客観小説に不可避な可逆関係からも自由であるゆえに――意外に率直な漱石の〈告白〉に近づくのである。比喩としてなら、漱石の〈私小説〉と呼んでよいかもしれない。
――三好行雄
夏目漱石(1867-1916)
1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。