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言文一致……。ここから、この国の近代文学は始まった。
旧思想と新思想のせめぎ合いの中で、悩める日本人を描いた不朽の古典的名作。
江戸文学のなごりから離れてようやく新文学創造の機運が高まりはじめた明治二十年に発表されたこの四迷の処女作は、新鮮な言文一致の文章によって当時の人々を驚嘆させた。
秀才ではあるが世故にうとい青年官吏内海文三の内面の苦悩を精密に描写して、わが国の知識階級をはじめて人間として造形した『浮雲』は、当時の文壇をはるかに越え、日本近代小説の先駆とされる作品である。用語、時代背景などについての詳細な注解を付す。
本文より
薔薇(ばら)の花は頭(かしら)に咲て活人は絵となる世の中
独り文章而已(のみ)は黴(かび)の生えた陳奮翰(ちんぷんかん)の四角張りたるに
頬返(ほおがえ)しを附けかね又は舌足らずの物言(ものいい)を学びて
口に涎(よだれ)を流すは拙(つたな)し
これはどうでも言文一途(いっと)の事だと思立ては矢も楯もなく
文明の風 改良の熱 一度に寄せ来る ……(「浮雲はしがき」)
注解
薔薇の花は~…明治18年ごろから若い女性を中心に洋風の束髪が流行し、それにはバラの花かんざしを挿すのが普通だった。
活人は~…明治20年ごろから、画中の人のように数分間ポーズを取ってある場面を模する「活人画」が、会の余興として流行した。前項とともに、文明開化で世の中が大きく変わったことを示す。
黴の生えた~…もはや時代遅れで、訳のわからぬ漢文調の文章。
頬返しを~…どう対処したらよいかわからず、の意。
舌足らずの~…複雑な現象を精密に表現するには不適当となった和文を指すか。
言文一途…言文一致。
二葉亭四迷(1864-1909)
元治元年、江戸市ヶ谷生れ。本名長谷川辰之助。東京外国語学校露語科に学ぶ。1886(明治19)年、坪内逍遥と会って『浮雲』を書きはじめ、1887~1891年にかけて刊行。1889年内閣官報局雇員となり、1899年、東京外国語学校ロシア語科教授となる。1902年、東京外国語学校を辞し、ハルビンへ向かう。1904年、大阪朝日新聞社東京出張員となり、『其面影』『平凡』などを連載。1908年、朝日新聞露都特派員としてペテルブルクに向かう。1909年、肺結核のため帰国途中、ベンガル湾上にて死去。