Detail
山の厳しさ、山の美しさ、山の恐ろしさ……、そこに繰り広げられる人間ドラマ。
2020年、没後40年。新田次郎山岳小説で、泰然たる自然に思いを馳せる。
美貌の登山家と山男二人。その恋には恐るべき罠が仕掛けられていた。
人間の本質を見据えた新田文学、山岳小説の真骨頂。
北アルプス、冬の八ヶ岳で二人の山男は、「女流登山家に美人なし」と言う通念をくつがえす、美貌のアルピニスト“千穂"に夢中になる。彼女の旧友でライバルの美根子を交えた四人の間に恋愛感情のもつれが起こるが、命がけの北岳胸壁攻撃の後、千穂は……。
きびしい冬山と氷壁を舞台に、“自然対人間"そして“男対女"を通して緊迫したドラマをみごとに描く傑作長編山岳小説。
本文より
蜂屋道太郎も、アイゼンを穿いた。ワカンをルックザックに結びつけ、前進の準備が終った時、蜂屋道太郎は千穂を振りかえって言った。
「これからが冬の八ヶ岳なんだ」
山雲が二つ三つ山稜をなでて飛び越えた後、大きな雲の団塊が二人を包んだ。
薄い霧だった。太陽の明るさが霧を乳色にぼかしていた。激しく移動する霧の壁の中に突然二人の影が大きく映し出された。
動くと影も揺れた。一歩を踏んだ。氷の固さが、全身に響いた。(本書167ページ)
本書「解説」より
私はこの作品をよんでいるうちに、山というものがもつ「風」「霧」「寒気」「氷」といった、カッコつきのこれまでの「自然」ではなく、そのカッコをとった、風のおそろしさ、霧のすさまじさが、痛いほどわかってきたのである。つまり私は、作品の登場人物とともに、いっしょに、あるいは恐怖におののき、あるときは冬山の美しさにうたれたのである。(略)
「自然対人間」からおこる緊迫したドラマの連続――それこそ、この作品を支えている内的ストーリーではないのか。
――小松伸六(文芸評論家)
新田次郎(1912-1980)
1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。実際の出来事を下敷きに、我欲・偏執等人間の本質を深く掘り下げたドラマチックな作風で時代を超えて読み継がれている。
ISBN 9784101122014