Detail
別れた後そのままにして置いた二階に上った。
懐かしさ、恋しさの余り、微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである――。
自然主義文学の先駆をなした「蒲団」に「重右衛門の最後」を併録。
蒲団に残るあのひとの匂いが恋しい――赤裸々な内面生活を大胆に告白して、自然主義文学のさきがけとなった記念碑的作品『蒲団』と、歪曲した人間性をもった藤田重右衛門を公然と殺害し、不起訴のうちに葬り去ってしまった信州の閉鎖性の強い村落を描いた『重右衛門の最後』とを収録。
その新しい作風と旺盛な好奇心とナイーヴな感受性で若い明治日本の真率な精神の香気を伝える。用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。
【目次】
蒲団
重右衛門の最後
注解…紅野敏郎
解説…福田恒存
本文より
(主人公・竹中時雄は)三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶で、この年頃に賤(いや)しい女に戯(たわむ)るるものの多いのも、畢竟(ひっきょう)その淋しさを医(いや)す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
出勤する途上に、毎朝邂逅(であ)う美しい女教師があった。渠(かれ)はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想を逞(たくましゅ)うした。恋が成立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……(本書13ページ)
田山花袋(1871-1930)
栃木県邑楽郡館林町(現・群馬県)に生れる。6歳で父を失い、貧困の中で育つ。1891(明治24)年に尾崎紅葉を訪ね、江見水蔭を知り、彼の指導で小説を書き始める。1907年、女弟子との関係を露骨に告白した『蒲団』が文壇に異常な衝撃を与え、自らの地歩を確実にするとともに、自然主義文学の方向性を決定した。以後『生』『妻』『縁』等の長編を次々と発表。代表作『田舎教師』は名作の評が高い。