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こ「デジタル技術は、人の意識を拡張する効力のあるLSDと似たツールである」�
──ヒッピーたちのこの大胆な発想がアメリカ西海岸のハッカーに受け継がれ、コンピュータのパーソナル化が実現したというのは、よく知られた話だ。�では、カウンターカルチャーとテックカルチャーという異なる二つの文化は、�いつ、どこで、どのようにして交わったのだろうか。パソコンの誕生に情熱を注いだ人々のドラマに焦点を当てながら、その知られざる源流をたどる。
目次�
コンピュータとヒッピーを結びつけた『ホール・アース・カタログ』
ターニング・ポイントだったヴェトナム戦争
LSDとコンピュータは同じツールだ
サンフランシスコ・バークレーは学生運動とヒッピー文化発祥の地
コンピュータはソ連とアメリカの冷戦で成長した
「ハッカーは遅れてきたビート族、初期ヒッピーカルチャーと同じ人種だ」
「人民のためのコンピュータ」と言う思想が生み出された�
パソコンは人と人がつながるための有用な道具だ
アルテアの衝撃。ミニ・コンがビートルズを唄った日
ハイ・テク時代のトリックスターがハッカーだった
もっと共生的に。人間とパソコンの関係
われわれはスローなギークになれるか?
(原作者による考察)