Detail
この男の肉声を聴け。
「戦後史の隠された巨人」唯一の直言集。
「風の男」、そして「占領を背負った男」――。
戦後史の重要な場面の数々に立ち会いながら、まとまった著作は遺さなかった白洲次郎が、
生前、散発的に発表した文章がこの一冊に。
「他力本願の乞食根性を捨てよ」
「イエス・マンを反省せよ」
「八方美人が多すぎる」
「軟弱なら軟弱外交らしくせよ」
「小役人根性はやめろ」
「御都合主義を止めよ」
「経営者の小児病を笑う」
「力には力で当れ」
等々、日本人の本質をズバリと突く痛快な叱責は、現代人の耳をも心地良く打つ。
その人物像をストレートに伝える、今なお新しい言葉の数々。
詳細な注釈付き。
目次より
野人・白洲次郎(今日出海)
カントリー・ジェントルマンの戦後史―白洲次郎直言集
日曜日の食卓にて―日本人についての雑談
講和会議に随行して
雑感―東北一廻り
おおそれながら
腹たつままに
蛙の考え
頬冠りをやめろ―占領ボケから立直れ
だいなし―借り物民主主義から脱却しよう
嫌なことはこれからだ―勇気と信念をもって現実を直視しよう
まっぴら御免―憤懣やる方なきこの頃の世の中
占領政治とは何か―己所不欲 勿施於人
聴け! 素人百姓の声ーコンクリートのアゼ作り
仏の顔も三度までー他力本願の乞食根性を捨てよ
政界立腹帖ー一寸一言・八つ当り集
プリンシプルのない日本
吉田茂は泣いている
日本人という存在―座談会(白洲次郎・河上徹太郎・今日出海)
プリンシプルのあった人―辻井喬
解説・青柳恵介
白洲次郎
1902(明治35)年、兵庫県芦屋の実業家の次男として生まれる。神戸一中卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社に勤務するが、1943(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。1945年、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、1985年逝去。妻は白洲正子。