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智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい――。
かの有名な文言から始まる、絢爛たる文章で綴る漱石初期の名作。
住みにくい人の世を芸術の力で打破できぬかと思案する青年画家。あるとき温泉場の出戻り娘・那美に惹かれ、絵に描きたいと思うが何か物足りない。やがて彼が見つけた「何か」とは――。
豊かな語彙と達意の文章で芸術美の尊さを描く漱石初期の代表作。用語、時代背景などについての詳細な注解、解説を付す。
本文冒頭より
智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯(ただ)の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はない。あれば人でなしの国へ行(ゆ)くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶(なお)住みにくかろう。……
夏目漱石(1867-1916)
1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。