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辺境にそびえる謎の山脈へ。世界が驚愕した美しき風景―一八五六年と一八五七年の二度にわたり、天山山脈の奥地を初の地理学的方法で踏査。秘境といわれていたイッスィク=クル湖周辺を調査し、数十に及ぶ新種の植物を発見する。克明で緻密に記された天山高地の自然やそこに暮らす人々の記述からは、研究者としての興奮がにじみ出る。ロシア地理学の古典にして、プルジェワルスキーをはじめとした後の研究者たちへ多大な影響を与えた、中央アジア探検史に新時代をひらいた名著。
目次
第1章 ペテルブルグからセミパラチンスクまで(パリ講和条約締結;帰村と帰京 ほか)
第2章 第一次天山行(セミパラチンスク;エフ・エム・ドストエフスキイとの邂逅 ほか)
第3章 第二次天山行(一八五六‐五七年冬期におけるバルナウル滞在とエフ・エム・ドストエフスキイの来訪;オムスク旅行とゲー・イー・ガスフォルトとの交渉 ほか)
第4章 天山奥地への進発と旅行の終わり(コザック部隊をともない天山奥地へ進発;サンタシ峠 ほか)
セミョーノフ=チャン=シャンスキイ,ピョートル
1827‐1914。ロシアの地理学者・植物学者で探検家。1856年と1857年にかけ2度にわたって天山山脈の奥地を探検。とくに当時秘境といわれていたイッスィク=クル湖周辺を踏査し、数十種に及ぶ未知の植物を発見した。探検行路周辺の居住民たちに慕われ、諸部族間の和解にも貢献した。また、天山紀行で、流刑地でわびずまいしていた文豪ドストエフスキイと邂逅した挿話は有名