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言われのない差別と偏見の中で生きた主人公・瀬川丑松。
日露戦争を通過した戦後文学の最初の新しい旗として、花々しく評価された作品。
明治後期、部落出身の教員瀬川丑松は父親から身分を隠せと堅く戒められていたにもかかわらず、同じ宿命を持つ解放運動家、猪子蓮太郎の壮烈な死に心を動かされ、ついに父の戒めを破ってしまう。その結果偽善にみちた社会は丑松を追放し、彼はテキサスをさして旅立つ。
激しい正義感をもって社会問題に対処し、目ざめたものの内面的相剋を描いて近代日本文学の頂点をなす傑作である。用語、時代背景などについての詳細な注解および年譜を付す。[付・北小路健「『破戒』と差別問題」]
本書「解説」より
単に外からの圧迫としてだけではなく、その圧迫に屈従する自我との内心のたたかいとして、丑松は二重に傷つかないわけにはいかなかったのだ。ここには幾重にも屈折しながら、藤村自身の特殊な運命が丑松という主人公に託して描かれてある、といえないこともない。主人公の環境そのものは、七年間田舎教師として寒い高原にとどまった藤村の実地の見聞をもととしてつくりあげられてある。しかし、ほかならぬ瀬川丑松という主人公をえらんだ作者の選択には、単なる見聞や観察をこえた藤村その人の運命感が仮託されてあった、といえるかもしれぬ。だが、その場合注意すべきは、その選択がまだ薄明の無意識のうちに遂行された、という事実である。
――平野謙(文芸評論家)
島崎藤村(1872-1943)
筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市)に生れる。明治学院卒。1893(明治26)年、北村透谷らと「文学界」を創刊し、教職に就く傍ら詩を発表。1897年、処女詩集『若菜集』を刊行。1906年、7年の歳月をかけて完成させた最初の長編『破戒』を自費出版するや、漱石らの激賞を受け自然主義文学の旗手として注目された。以降、自然主義文学の到達点『家』、告白文学の最高峰『新生』、歴史小説の白眉『夜明け前』等、次々と発表した。1943(昭和18)年、脳溢血で逝去。享年72。