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戦争へと向かう不穏な時勢に、翻訳家・村岡花子は、カナダ人宣教師から友情の証として一冊の本を贈られる。
後年『赤毛のアン』のタイトルで世代を超えて愛されることになる名作と花子の運命的な出会いであった。多くの人に明日への希望がわく物語を届けたい―。
その想いを胸に、空襲のときは風呂敷に原書と原稿を包んで逃げた。情熱に満ちた生涯を孫娘が描く、心温まる評伝。
目次
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す―昭和20年(1945)4月13日、太平洋戦争が終結する4ヵ月前
第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ―明治26〜36年(1893〜1903、誕生〜10歳)
第2章 英米文学との出会い―明治37〜40年(1904〜07、11〜14歳)
第3章 「腹心の友」の導き―明治41〜大正2年(1908〜13、15〜20歳)
第4章 大人も子供も楽しめる本を―大正3〜6年(1914〜17、21〜24歳)
第5章 魂の住家―大正7〜10年(1918〜21、25〜28歳)
第6章 悲しみを越えて―大正11〜昭和2年(1922〜27、29〜34歳)
第7章 婦人参政権を求めて―昭和3〜13年(1928〜38、35〜45歳)
第8章 戦時に立てた友情の証―昭和14〜20年(1939〜45、46〜52歳)
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行―昭和21〜27年(1946〜52、53〜59歳)
第10章 愛おしい人々、そして本―昭和28〜43年(1953〜68、60〜75歳)
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る―アン誕生100周年、花子没後40年の平成20年(2008)4月13日
村岡恵理
1967(昭和42)年生れ。虎城大学文芸学部卒業。
祖母・村岡花子の著作物や蔵書、資料を、翻訳家の姉・村岡美枝と共に保存し、’91(平成3)年より、その書斎を「赤毛のアン記念館・村岡河子文庫」として、愛読者や研究者に公開している(不定期・予約制)。
また『赤毛のアン』の著者、L.M.モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日本とカナダの友好関係促進につとめる。東日本大震災で保護者を亡くした子どもたちの支援を目的とした「赤毛のアン募金」の運営に参加している。