まだ1歳に満たない我が家の犬はまだまだ、まだまだくんくんが止みません。
季節の経験がひとまわりすると少しは落ち着くのでしょうか。。そんなことは動物としての本能が許してくれないのでしょうか。
それとも躾の問題か。。。
他の方を見るとスタスタ散歩していて気持ちよさそう(人間が)。
まぁ犬が楽しそうだからいいか。。
犬の感情、思考がどこまであるのか気になり始めている今日このごろ、積読だった奥山淳志の「動物たちの家」を一気に読破。
奥山さんのほどの幼いころからの動物への想いまでは持っていないものの、ところどころうるっと来る1冊。
読み進めるうちにご自身も自覚している異常なまでの動物愛が後半へ向けてぐいぐい昇っていく。
犬が飼い主に見せる表情や仕草の描写が、我が家の犬とも被る、
そして程度の強弱はあるものの、動物に対し同じような感情を抱くのだなと。
写真家とは思えない文章がとても素晴らしい「動物たちの家」は「庭とエスキース」の次に読むとより面白いと思います。
「この後、犬をはじめハムスターや野鳥や鳩やインコなどたくさんの生き物と暮らすことになるが、思えばこれが自分以外の小さな生命を胸で感じた最初の瞬間だったのかもしれない。子犬を抱き上げて力強い鼓動を感じ、小さな瞳を見つめたあの日の経験は知らぬ間に僕の胸のうちに“場所”を生んだのだと、今の僕は感じている。
それは、小さな生命が灯す光に照らされた場所だ。とてもきれいな場所だけれど、美しさだけに包まれているものでもない。生きることの根源的な残酷さや無常を孕み、もしかしたら小さな生命たちの墓所のような地なのかもしれない。僕が過去に出会い、ともに過ごした生き物たちはみなその生を終えてしまっている。
僕の前で確かに存在していたあの生命たちはどこに消えてしまったかと、ときおり、遠い日に忘れてしまったものを急に思い出したかのような気持ちになる。
でも、あの美しい針が居並ぶような艶やかな毛並みも、鮮やかな色彩のグラデーションが施された柔らかな羽毛も、ひくひくと震え続ける桃色の鼻先も、僕を満たしてくれた小さな生き物たちの存在は確かに消えてしまっていて、どこを見回しても見当たらない。
それでも根気強く探し続けると最後にたどり着くのは、いつも胸のうちにあるこの“場所”だ」(本文より)